Jones Crusher

ご無沙汰しております。といいつつ2日も連続で書くのはなぜかというと、えー正直な話現実逃避です。そんなわけでもうちょっと、英語版『子連れ狼』のいいところを紹介しておきましょう。
『虎落笛』と並んでシリーズ前半の白眉といえる(まあ『子連れ狼』は全部白眉なんすけどね。捨てエピソードがない)、『無門関』からお送りします。ここで拝一刀は偉い坊さんを斬ってくれと依頼されます。ところが悟りを開いて無の境地に至った僧侶を目の前に、どうしてもこれを斬ることができないわけです。不覚、とか言いつつ切腹して果てようと思ったら坊さんに止められる。無なるものを斬ることができなくともそれはしょうがないと。けれどもこっちはプロの刺客なんで、仕事を完遂できなかったら死ぬしかないんで、と言ったらじゃあ刺客道を捨てよ!と坊さんが。それもできない相談だった。じゃあこのさい心を無にせよと、そうすれば無なるものを斬ることもできようと。刺客道の無門関に至るのだと。刺客道の……無門関…… かくして拝一刀は刀を封印、ひたすら座り込む日々が続きます。


主観と客観を
ひとつにし
おのれをわすれ
無とおのれを
ひとつになし
内外打成の一片と
なれぬものか………


生まれてから
今日まで会得した技も
知識も 経験も
すべて無に帰し
仏に逢うては
仏を殺し
父母に逢うてはこれを殺し
祖に逢うては 祖を殺し
しかして
何の感情も抱かぬ
無字の境地に至れぬものか!


有名な「仏に逢うては仏を殺し」ですね。"Meet the Buddha, kill the Buddha" と、まあストレートですね。でもこのへんの台詞は日英併せて全部暗記しておきたくなる格好よさだ。

で、件の坊さんの言っていた「無門関」。『無門関』というのはそもそも1200年ごろ、中国宋代で編まれた禅の公案集であると。なんとなくありがたい感じがするので以前買ってはみたが、実はその後あんまり読んだことがないのはここだけの話です。ともあれその48ある問答集、というか公案集ですか、ド頭に書かれているのが


大道無門
千差路有り
此の関を透得せば
乾坤独歩ならん


ということですね。よく分からないが超格好いいことだけは確かだ。それが英語だとこうなります。

実にしびれる。原語版は上の言葉が、筆文字でババーンと書かれて失禁ものでありますが、それはそれとして英語で言ってもらうとその大意が多少なりとも理解できるような気もしますね。つまり何でしょうか、世の中に道はナンボでもあるが分かりやすい入り口なんてものはないんだと。道をさえ見つければひとりでも、いかようにでも歩いていけるのだと。ボンヤリとだが分かってきたような気がする。気のせいかもしれませんが……。ともあれたったひとりの座禅修行を経て、ついに刺客道を極めた拝一刀は偉い坊さんの前に再度現れ、これを斬ります。この坊さんが凄くて、まさに一刀両断にされたその瞬間に


よきかな
道を
極むる者
……


よきかな
無門の関
………


と言い残して絶命するわけです。考えてみれば自分を殺しに来た男がちょっとこれ無理だと、残念ながら切腹するしかないと言ったらですね。どうぞどうぞ切腹してくださいと、危ないとこだったなあ!おい!という話だと思うんですね。それが刺客道を極めよなんて言って追い返してですね、極めて帰ってきちゃったじゃねえかよ!だから言わんこっちゃない。けれども坊さんは「よきかな」とか言って死ぬわけです。こ、これが悟りを開くということか、と思わざるを得ない。そういう壮絶な世界が毎度毎度展開するのが『子連れ狼』なんですね。そんな作品には思わず手帳に書き取りたくなるような超格好いい台詞が満載されており、またそれを英語で読み直すというのがね。「よきかな 道を極むる者」は "Is this not good? He who perfects his path?" なんていう、何か非常に大層な言い方になるんだなあ、とか新しい発見と楽しみを提供してくれるわけです。ではまた次回!