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「折に触れて物真似したくなる映画」の代表格として『ブラック・レイン』の話をしたけれども、その後(トイレとかで)よくよく考えてみれば、意外とこの類の映画を定義づけるのは難しいのだった。
ここでは何か無性に映画の一場面を再現したくなるということが重要なのであって、これは台詞のみを単独で繰り返したくなるということとはちょっと違う。
例えば『地獄の黙示録』でも何でもいいが、「ベトコンがサーフィンするか!」といったような歴史に残る名台詞。これはこれで口に出して、ないしは手帳に書いて愉快な台詞だ。が、台詞単体の破壊力があまりに高いせいか、意外なことに前後のシチュエーションも込みで(飲み屋で)再現しようという気はそんなに起きない。しかし人はなぜケイト・キャプショー(難波のホステス。ババア)の「コレデパンデモ買ッテ」を物真似してウヘヘへと笑いたくなるのか。
ということを今度はタクシーの中で考えていたら、これはやはり
アメリカ人のオバハン(金髪)が
夜、大阪の橋の上で
そのへんの乞食に100円渡してパンを買うように言う
しかも片言の日本語で、
という状況の突拍子のなさ、あるいは間抜けさによるものだと気がついた。これはガッツ石松が煙草しか持っていなかったという事実にも言えることだし、そして「オヤブンガダマッチャイネエゾ」と吠える白いトックリの男についても同じことだ。「オヤブンガダマッチャイネエゾ」。超かっこいいはずの(事実超かっこいいのだが)優作初登場シーンに紛れ込んだ、なぜか片言の日本語を喋る男。こういう異分子が『ブラック・レイン』という作品を忘れがたいものにしている。なぜこいつがここで、またはなぜこんなことを、という引っかかりこそが「折に触れて物真似したくなる映画」に必要な条件ということなのだろうか。よく分からんなりにどうにかなるだろうと思って書いてみたら案の定どうにもなりませんでした。次回は超人ハルクについての世間話をお送りします!

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