room service

ご無沙汰しております。
ご無沙汰している間は精力的に原稿を書いたり尻をかいたりしていましたよ!
ということで今年そして来年にかけてドーンとやってくるアメコミ映画についてビシビシ原稿を書いた映画秘宝7月号は今月21日(土)発売です。ビシビシ読んでね!

と書いて思い出したけれども3年前にも同じようなことを書いているのだなあ。何であれやり続けることは大事なことだ。しかし3年前の時点でいま世の中こんなことになっているとは予想もしなかったですよ。という流れでここしばらくボンヤリ考えていることがあるのだけれども、それは明日書きます。または明後日。そして俺がここに帰ってくるのはまた3か月後のことなのであった……

アンディ

10年前(10年前か……)同時多発テロが起こった時、こんな状況で俺にできることはいったい何だと2秒ぐらい考えた結果、とりあえずアマゾン(.com)でDVDやビデオを大量発注した。結果、多少なりとも俺がアメリカを買い支えたのだと自負している。それがまったくの妄想に過ぎないとしてもだ。
ということを2001年にアマゾンで買ったVHS『ビバ・ニーベル』が、先日の地震の結果床に転がっているのを見て思い出した。
同じことをもう一度、今度は自分の住む国に対してやってみる時が来たのだと思う。たとえ今度も妄想に過ぎないとしてもだ!
ということでアマゾン(.co.jp)に大量発注をかけようと思ったが、しかし物流に負担をかけるのも何だから、駅前の新星堂に徒歩で買いにいきます。えー何かDVDとかを!

RDNZL

ご無沙汰しております。ご無沙汰しているうちに大変な事態になってしまいました。
俺も首都圏に住んでおりますが、いろいろあってやっとの思いで仕事場に辿り着いたらドアを開けた瞬間(というかドアもなかなか開かなかったですが)思わずフ、フヒ〜という声が出ました。本やらDVDやら何やらが床を埋め尽くしている上に本棚が2個倒れており、またその向こうにPCのモニターが倒れているのがボンヤリ見えた。このさい何も見なかったことにして寝ようかと思いましたが、何しろ今日(あと実は昨日)〆切の原稿を書かなくてはならない。だいたいこの程度で済んだ俺風情が泣きごとを言うわけにはいかん、ということで仕事場を片付けた。
今月はいくつか原稿を書くことになっていたけれども、さあどれから手を付けるかといえば迷わずいちばん下らないやつからだった。恐らくもう10年(10年か……)やらせていただいている、うんこに混じったとうもろこしよりも下らない連載。婆さんの乳首ほどにも意味も内容もない。世の中こんなになっている時に、果てしなく意味のないバカなことを思いつきでひたすら書くというのもどうかと思うけれども、しかし俺にできることをやるとしたらそれぐらいしかないのです。
ということで諸々書かせていただいた映画秘宝最新号は今月19日(かな?)発売です。
本当に辛い思いをされている方がたくさんいらっしゃると思いますけれども、生きている限りは生き延びて参りましょう。キルゴア中佐も「この戦争も、いつかは終わる!」と言ってましたから。

クカモンガ

ご無沙汰しております。今日はちょっと20年ほど昔のことを思い出して書いてみようと思ってですね。特に理由はない!
20年前といったら『ダイ・ハード2』なんかが全国公開されていた頃。ということは同じレニー・ハーリン監督、アンドリュー・ダイス・クレイ主演の名作アクション・コメディ『フォード・フェアレーンの冒険』が夏休み第1弾で封切られ、そして光の速さで打ち切りになった頃。『フォード・フェアレーンの冒険』の上映期間については1日説、週末2日間説または3日間説、最長で1週間説と諸説ある。けれども、俺の記憶する限りでは土曜に封切り、明けた月曜にはもう『タスマニア物語』か何かに差し替えられていたと思う。
ということで20年ぐらい前はよく映画館に行ったなあと思うわけです。何かに憑かれたように劇場通いをする頃ってありますわね。そりゃ今だって行くは行きますけど、今考えるとお前何でそんなもんまで、というような作品を当時は映画館で観ていた。ティナ・ターナーの伝記映画とか。この時はなぜか劇場が超満員で、こんな映画に朝から詰め掛けるとはどういう人たちなんだと思いましたけど、今になったら彼らがどんな客だったか分かる。その程度には俺も大人になった……

あの頃はよく映画も観ましたが、同時によく殴られてもいた。俺は全寮制の男子校にいたんですが、高校は木更津というところの山奥にあって、まあ早い話が刑務所ですね。月に1度、5日間ほど釈放されて東京に帰るんですが、この間はずっと1人で映画館にいる。青春と呼ぶにはあまりにも暗すぎるわ!ともあれ男ばっかり田舎の山奥に閉じ込めたらどうなるかというと頭がおかしくなる。ということで、そのへんで目が合うなり先輩が殴ってくるわけです。まずブン殴られてから手前ふざけんじゃねえぞ!と言われ、理由はもうひとつ分からないが仕方ないので謝るという、そんな気の狂ったコミュニケーションが日常的に行われていた。
20年前、山奥に暮らす俺たちの娯楽といったら仲間のズボンを後ろから下ろすことぐらいだった。ズボンだけなら50点、パンツまで下ろしたら100点。そういうデス・レース2000年的なルールがあった。ある夕方の階段で、友達が同級生と間違ってデブな先輩のズボンをバーッと下ろしたことがあった。またこういう時に限って綺麗にパンツまで下りちゃって先輩のチンコが丸出しになったりする。鬼の形相の先輩に蹴られ、かわいそうな友達は階段を転げ落ちていった。こんな瞬間はすべてがスローモーションになるのだと俺たちは知った。
それから当時は部活の終わりに売店に行き、パイゲンなる謎の乳飲料を買うのが流行ってですな。パイゲンはうめえなあ!なんて売店の前でグビグビ飲んでると、ラグビー部終わりの先輩たちが向こうから大挙してやってきた。俺たちはチース、と取り敢えず挨拶をするんだがまあ先輩はこれを無視して、おばちゃーん!パイゲンちょうだい!と怒鳴る。売店のババアは暢気に「ごめんね〜、今日パイゲン売り切れちゃったのよ〜」と答えた。長与千種に酷似した先輩は汗まみれのヘッドギアをむしり取ると、地面に叩きつけた。そして俺は売店の前でパイゲンを持ってバカ面をしていた。長与千種に酷似した先輩がこっちを見た。その後何が起こったかは書くまでもないが、とにかく20年前は乳飲料ひとつで死を覚悟せざるを得なくなるという、常にそんな状況に置かれていたわけです。
そして土曜の夜になると先輩が寮の部屋にドヤドヤ入ってきた。いい気分で寝ているとお前ちょっと来いこの野郎!と言われ、両脇を固められてベッドから引きずり出される。サンダルを履こうとすると何やってんだとブン殴られるので、まあ仕方なく夜道を裸足で連行されていく。先輩の寮の裏に行くと、夏の夜の真っ暗闇に煙草の火だけがポッポッポッと、いくつか浮かんでいる。そのうちの一つがこっちに近づいてきた、と思ったらバコーンと殴られた。そして鼻血を垂らして部屋に帰ると。ある夜はいきなり後頭部をブン殴られ、反射的にゲロを吐いた。汚えなあこの野郎!帰れよ!と罵声を浴びせられながら、朦朧とする意識の中で「後頭部殴られてゲロ吐くのって、結構ヤバいんじゃねえかな……」と俺は妙に冷静に考えるのだった。
呼び出されるなり一発貰って釈放される時はまだ運のいいほうで、場合によっては先輩の部屋まで連れて行かれた。それでまあだいたい座れ、と言われるんですが、ハイーなんて体育座りをするとバカ野郎正座だよ!と蹴られると。そういう儀式が行われ、そのあとに「おい、選べ」と先輩が言う。見れば床には金属バット、コンクリのブロック、便所のモップが並んでいる。俺はじゃあモップでお願いします、と答える。やくざの息子という噂の先輩は「運がいいなあお前この野郎!」と、俺の頭をモップの柄でブッ叩いた。このクイズには先輩も意外と趣向を凝らしており、また別の夜には (1) 3階の窓から飛び降りる (2) 今すぐ全裸になる (3) 殴られる という愉快な3択を迫られた。えー、じゃあ(3)で。と俺は答えたが、聞くところによると(2)を選んだ猛者もいたらしい。という具合に、毎週ランダムに選ばれたラッキーボーイが暴力の餌食になっていたわけです。

何で20年後の今になってこんな話を思い出したのか、それは俺にも分からない。まあでもそうやって、かつては毎日どこかで上級生が下級生をボロ雑巾にする日常があった。この暴力の連鎖に終止符を打つべく、高校3年生になった俺たちはある決意をするわけですが、またそれは別の話であります。

フロレンティン・ポーゲン

明けましておめでとうございます。

また半年ほどここを放置したわけですが、今年は頑張ります!何かを!誰かが!

それにしても正月の終わりが早すぎる……。三が日終了イコール正月終了とはどういうことか。30日まで仕事して3日まで休み、って実質4日しか正月休みがないじゃないか。4日休めりゃ大したものだとは思うけれども、年が変わるからというだけの理由で溜まった仕事を急いで片付けたり掃除してみたり、あと忘年会だ新年会だと楽しく酒を飲んでみたり、最後のはまあいいとしても、何が言いたいかといえば正月休みというのが他のホリデーと比べて格段に前段階の準備を要求されるんですね。何か疲れる。これから休むってのに準備でくたびれてどうするんだと。仮に1か月2か月ドカーンと休めるってんなら張り切って準備もしますよ。仕事だって全部片付けておくかという気になるでしょうね。あと全国的にあちこち休みになるってんならこんにゃくでも大量に煮ておくかと思います。休暇中に食うものがなくなったら困るから。だけどコンビニだって西友だって元旦から24時間営業でしょう?じゃあ別にいつもと変わらないじゃん!買いにいけばいいじゃん!うどんとか!ブリトーとか!何か食べるものを!こんにゃくとか張り切って煮てないで!おせち料理とかも不要じゃん!別に無理して作って玄関に置いとかなくてもいいじゃん!冷蔵庫あるんだから!何か好きなもの入れといて好きな時に食べればいいじゃん!ということで正月というシステム自体が現代社会にどうも合っていないんじゃないかと思いますですね。ていうかただのちょっとした連休じゃん!こんなの!そんな半端な休みだったら俺はいらないよ!だいたいそんなに新年が大事だったら毎月頭は新しい月だからお祝いしましょうって休みにすればいいじゃん!ウウウ……正月のバカ……なぜ行ってしまうの……

THE SENTRY:REBORN (その3)

ご無沙汰しております。

ご無沙汰ついでに、やりっ放しで(しかも途中で関係ない話を始めて悦に入るという最悪なパターンで)放置していたお話を続けたいと思います。

マーベル・コミックのスーパーヒーロー、セントリー。爆発する太陽100万個分のパワーを持つ、何だかよく分からんがまあタウリン1000mg配合よりも凄い男ですけれども。しかしこの人がメンタル面にちょっと、というか相当な問題を抱えていた。スーパーヒーローには欠かせないスーパー悪役、いわゆるバットマンに対するジョーカーですね。まあヒーローも悪漢もコインの裏表、善があって悪があり、その逆も然りと。そんな話をよく聞きますけれども、セントリーの何が厄介だって最強の敵が自分自身の中にいるんですね。セントリーことロバート・レイノルズの暗黒面、時折それがヴォイドという形をとって現れてくると。最強のヒーロー、その裏返したるヴォイドは当然最強の悪役で、なおかつそれがいつ顔を出してくるか分からんと。そんなわけでセントリーは誰からも腫れ物に触るような扱いを受けてきたわけです。


ヴォイド↓ 意外と適当なデザイン


それでまあ、同じようにスーパーパワーを持ちながらそれを制御できず、だいたい訳が分からなくなって大暴れしては周囲から疎まれているのが超人ハルクだと。この緑の巨人とセントリーが不適合者同士、友情を育むのは当然の成り行きだった。今回ネガティヴ・ゾーンなる異次元空間に赴いて敵と戦わねばならんセントリー、しかし自分1人ではちょっと苦しいと。そう考えて洞窟に隠れ住むハルクを訪ね、協力を要請した。何だかよく分かんないけどマブダチの頼みだから、ハルクは二つ返事でこれを引き受けた。ここまで紹介したのが実に2年前、怠惰もここまでくるといっそ清々しいよね!と、俺は自分を正当化した。

かくしてネガティヴ・ゾーンに特攻するハルクとセントリー。この最強タッグで並み居る敵をちぎっては投げ、獅子奮迅の活躍を見せる。いいねえ!しかしその先で2人を出迎えたのはセントリーの暗黒面たる超悪役、ヴォイドであった。

思いがけず出てきたヴォイドに虚をつかれ、超人ハルクはあっという間に捕縛される。予想外の展開に狼狽、成すすべもないセントリー。そしてハルクは全身の骨を砕かれるのだった。

このままでは2人とも殺られる!セントリーはハルクを連れ、ネガティヴ・ゾーンから辛くも脱出。全身複雑骨折の憂き目に会ったハルクはその後

セントリー家の台所に倒れ、じっと回復を待つのであった。
このコミックが発表された当時、超人ハルクが全身の骨を折られて戦線離脱ってどういうことだ!痩せても枯れてもハルクだ!緑の巨人だ!そんなに弱くねえよ!ふざけるな死ね!ということでずいぶんな悪評があったと記憶している。気持ちは分かる!分かるんだが、今回のハルクはいつものハルクじゃないんですね。ハルクことブルース・バナー博士は幼少期にロクデナシの親父から随分な折檻を受けたと。それでハルクの深層心理には理想的な父親を求める気持ちがあるんだと。だからこそ自分の理解者たるセントリーの前では子供のように従順になるんですね。力は強いけれどもセントリーと一緒にいる限りしょせん子供だから、いつもよりずっと無力だと。そう考えればハルクのキャラクター造形が普段と全然違う、ということにも頷けはしまいか!俺は頷く!全力で!ヴォイドに締め上げられるハルクが父親たるセントリーに助けを求める、「ゴーーールデンマーーーン!」という悲痛な叫びを聞いて泣かずにいられるか!なおかつその後、瀕死のハルクが他所ん家の台所で何週間も横になり、怪我の治癒をひたすら待つという、何この手負いの熊!そんな姿を見て泣かずにいられるか!

というわけでセントリーも自分を親と慕ってくれた巨人を再起不能に追い込み、それはもう大変な責任を感じるわけです。自分が作り出した敵とは自分が白黒つけるしかない。遅まきながらそう悟り、このさい大胆に端折りますがいろいろあって、ついにヴォイドを太陽に投げ込んで始末するのです。かくして平穏を取り戻したセントリーの生活。不仲だった女房とも再度絆を深めます。ようやく回復したハルクが、その姿をにこやかに見守るのだった。完!

ハルクのいじらしさがとにかく際立ったアメコミ・シリーズ『THE SENTRY:REBORN』でした。しかしセントリーとハルク、マーベル・ユニバースの2大鼻つまみ者が辿る数奇な運命はまだまだ全然これじゃ終わらないのだった。ということで次回は近いうちにアメコミ巨篇『WORLD WAR HULK』を紹介します!ハルク世界大戦!すごいタイトルだ!

ハート・ロッカー(2009)

というわけで『ハート・ロッカー』、輸入DVDが届いたのでオッ!本邦公開前の映画が!とか言って放っておいたら絶賛公開中となり、そしてアカデミー賞にも輝いてしまった。普段からブラック・レインがどうした超人ハルクがどうしたとかそんなことばっかり書いてるくせに、いきなり最新映画の話をするのも非常にバツの悪い感じではある。が、それでも書いとかなきゃならんと思うのはこの映画が俺の愛してやまない『フレンチ・コネクション』(71)から続く、「働く中年映画」ジャンルに新たな1ページを加えた名作だからだ。
映画についての詳しい説明はあっちこっちでされているから端折るけれども、主人公(『28週後・・・』で頼れる軍人のお兄ちゃんを演じていた俳優。好感が持てる男だ)は何しろイラクで爆弾処理をするエキスパートだと。地中に埋まった、または車のボンネットに仕込まれた爆弾を黙々と処理する。ワイヤーをぶちぶちと切る。ちょっと何かを間違えば即死するという状況で、エヘヘと笑いながら楽しげに仕事をする。大義名分は特にない。まあ変態ですね。周りの連中はもうちょっとマトモなので、爆弾を目の前にして変にテンションが上がっている主人公が嫌でしょうがない。まあそれでも男同士の関わり合いがあって、相互理解というかちょっとした友情のようなものが醸成されてきそうにもなるんだが、しかしこれが長続きしない。

(そういえば乗用車のパーツを次々に外しながら爆弾の起爆装置を探すあたりに、また『フレンチ・コネクション』リスペクトを感じましたですね。まあ俺のこじつけですが!)

または主人公の親しくしていた少年が殺されて人間爆弾にされる。主人公には何かしら感情の動きめいたものがあって、それを企図した人間を追い詰めてみようとするけれども、その努力は結局知らないオバハンにどつかれただけで終わる。あるいはテロの現場で爆弾処理という職務を超えて敵を直接追ってみるが、ここでも部下が負傷しただけで何も達成することはない。その負傷した部下から、主人公は最終的に「あんたに付き合ったおかげでこの有様だ!くたばれ!マジで!死ね!」と言い放たれる。そこまでに多少なりとも人間関係が作られてきたにもかかわらず、たぶん彼らの関わりはそこで終わりだ。さまざまなエピソードが散文的に出てくるけれども、そのどれもが全然いい話で終わらない。言ってしまえば全部グダグダな尻切れトンボに終わる。そして結局主人公は黙って爆弾のワイヤーを切るしかない。同僚から嫌われようと、女房から理解されなかろうと、とにかく黙ってそれをする。いろいろやってみようとはしたけれども、他のことは爆弾処理のように上手くできないからだ。
映画がそろそろ終わろうという時、主人公の同僚がとうとう弱音を吐く。こんなの我慢できねえ。俺が死んだって悲しむ奴もいない。そう言って涙を流す同僚に、主人公は何ひとつ気の利いたことも言えない。逆に聞き返す。俺が何でこんなことやってるか分かるか? 知らねえよ、と言われて「だよな・・・・・・」という、この説明のつかなさ。結局いいことのひとつも言えず、また結局誰からも理解されないこの隔絶感。『フレンチ・コネクション』の最後で、ずっと相棒をやってきたロイ・シャイダーにも愛想を尽かされてしまったポパイ刑事の、まあ何というか「彼岸に行ってしまった」感。『ハート・ロッカー』の終盤で交わされる上記グダグダな会話で、そんな情景を思い出しましたですね。
まあ何というか、『ハートブルー』(これも実にしょうもない男たちが出てくる、実にしょうもない映画だった。そこがいい)と同じ、キャスリン・ビグローによるアドレナリン中毒者に関する映画というか、要は生きるか死ぬかの極限でなければ生の実感が得られないと。そんな男の物語だ、ということなんでしょう。が、そういうことを超えて何か、手許にある仕事。これを人より上手くできるということだけが俺のアイデンティティだと、他のことは知らんから俺はこれをやるんだと。そこを突き詰めていけば人間は容易く「あっち側」に行ってしまうんだということ。それを活写したという点において『ハート・ロッカー』は、「働く中年映画」の系譜に正しく連なる映画だと思う。アカデミー賞に加えてホーク賞をさしあげたい。