ランボー3 / 怒りのアフガン(1988)

10年ほど昔、青山のあたりでビルマ料理屋に入った。店の名前は「ヤッタナー」といい、ヤッタナーこの野郎とか言いながら飯を食ったものだった。調べてみたら新大久保に同名の店があったがこっちは閉店したようだ。青山のヤッタナーがどうなったかは知らない。
入口を入ってすぐのところにアウンサンスーチーの巨大な写真が飾ってあり、呑気に飯を食っていてフト気がつけばアウンサンスーチーがこっちを向いてニッコリしているので、俺たちは行きがかり上アウンサンスーチーに乾杯したのであった。以上、一文の中で何回アウンサンスーチーと言えるかという実験でした。しかしそんなビルマ、というかミャンマーランボーが今年殴り込みをかけることになろうとは、誰もこの時点で予想していなかったのである。
そんなわけで『ランボー 最後の戦場』の、というかランボー4部作をまとめて突っ込んだDVDボックスが届いた。

これが納品されてからというもの仕事しながらダラダラと『最後の戦場』ばかり見ては、還暦を過ぎたランボーのソリッドかつぶっきら棒な虐殺絵巻にウットリしていたのだが、フト思いついて『ランボー3 / 怒りのアフガン』を再生してみた。恩人トラウトマン大佐がアフガニスタンで捕まったというので単身これを助けに向かうランボー。物のついでにムジャヒディンと合体、ソ連軍の大部隊と激闘を繰り広げるという、まあ痺れるストーリーであります。俄然盛り上がってきた!

(まあしかし、一兵士に過ぎなかったランボーを殺人マシーンに育て上げたのはトラウトマン大佐だから、実は恩人もヘッタクレもないのだった。まあいい)

そして約20年ぶりに『ランボー3 / 怒りのアフガン』を見た。結論から申し上げれば、寝ながら漏らしたオシッコが首のあたりまで逆流してくるほど下らない映画だった。前述のストーリーは嘘でも何でもなく、実際ランボーソ連の大軍団を向こうに回し、ヘリやら戦車やらを駆って大暴れするにはするのだが、にしても映画全体に漂うこの倦怠感は何だろう。何というか日曜の昼下がりにほうれん草の入ったラーメンか何か食べて、テレビをつけてもゴルフしかやってないのでしょうがなくゴロ寝している感じというか、何しろ映画全般を通じて緊張感というものがどうにもこうにも全然欠けているのだ。たとえばソ連の兵士が戦車の上からガガガガと機関銃を撃ってくる。ランボーはゴロゴロと転がったのち微妙に半拍ほどおいて体勢を立て直し、AK-47を乱射する。やはり微妙に1/3拍ほどあってワーと倒れるソ連兵。映画は絶え間なくアクションを見せるが、大体こんな調子だ。どうも何となくデレッとしている。緊張感がないならないで、じゃあスタローンが大爆発(爆発は無闇に多い)を背中にビシリと決めるようなケレン味があるのかといえばこれもない。あるのは気だるさのみだ。これは1988年という時代のせいだろうかと思うけれども、よく考えれば同年にはケレン味と緊張感にあふれた『ダイ・ハード』とかもあったりしたので、どうやら『ランボー3』が勝手にデレッとしていただけなのだろう。

そんな『ランボー3』を今こうして噛みしめるにつけ、20年後の『最後の戦場』は奇跡的な傑作だという思いを新たにする。最初から最後まで映画に充満する、どうにも胸がザワザワする不穏な空気。そういう空気の中にヌバッと現れて敵を首チョンパするランボーの怪物的存在感。人より上手くできることなんて人殺しぐらいだと開き直り、本能のままに荒れ狂うランボー。その手で人体が一つまた一つと木っ端微塵になっていく様を見ながら、やはり俺が追いかけ続けたスタローンは本物だったと目頭を熱くする(そういえば『ロックアップ』とか『刑事ジョー ママにお手上げ』とかも真面目に追いかけた。前者は日劇プラザで、後者は日比谷映画で見たと思う)。そして『ランボー3』をもう一度思い出し、あの頃のスタローンは本物じゃなかったなあと遠い眼をするのです。

とか何とか書いても別に今さら20年前の映画を腐そうというのではなく、これはこれで『ランボー3』という映画だから、まあ日曜の昼下がりにほうれん草の入ったラーメンか何か食べて見るにはちょうどいいのだ。