スヌーピーの大冒険(1972)


ボンヤリしていたら9月2日にビル・メレンデスが死んでしまった。まあ享年91歳ということならば何も俺がボンヤリしていたせいではないと思いますが。当たり前だ!
ビル・メレンデスといえば『チャーリー・ブラウンのクリスマス』(1965)とか『スヌーピーの大冒険』(72)を撮った映画監督だ。世間的には前者で最もよく知られているのではないかと思う。確かに『チャーリー・ブラウンのクリスマス』といったら全人類が年に1度は必ず観てアホみたいに泣くべき不朽の名作だ。チャーリー・ブラウンが自前のクリスマスツリーのボロさをみんなからバカにされ、すっかり意気消沈して家に帰るとそこには!と書いているだけで泣けてくるので恐ろしいが、しかしそれにも増して危険なのが『スヌーピーの大冒険』なのだ。
昔の飼い主が病気だと聞いたスヌーピー、遠い地で自分を待っている女がいると聞けば今すぐ行ってやらねばならんと、まあこのいじらしさだけでドンブリ飯が3杯食えるけれども、そんなわけで現飼い主のチャーリー・ブラウンとその仲間たちに別れを告げて旅立つのであった……と、超かいつまんで書けばそういう話だ。
でまあこの映画の何が危険かといって、しょうがないので敢えてクライマックスの話をしますが、子供たちが子供たちなりにスヌーピーの門出を祝ってやろうと、心ばかりのお別れ会を開いてやるのです。何かこう部屋に飾りつけとかして。餞別など渡したりして。そして超泣く。全員が。ちょっと泣いてみせるとかいうレベルではない。天を仰いで泣きまくる。男も女も、登場人物全員が物凄い勢いで号泣するのだ。シュローダーがピアノを弾いてみんなで歌って締めようかと、しかし誰も彼もが暴風雨のように泣いているのでとても歌なんか歌えないのだった。ちょっとここまでの集団が超泣いているという状況は映画で見たことがない。

そういえば『ディア・ハンター』の終盤で、クリストファー・ウォーケンが死んじゃったというので友達がみんな集まって、まあ何かメシでも食うかという場面。それぞれ悲しいなりに気丈にふるまったり、お互い気を遣ったりという情景があるのだが、ジョージ・ズンザ(『氷の微笑』にも出てたデブ)が俺ちょっと目玉焼きでも作ってくるわ、みんな食べるだろ、とか何とか言って部屋を出て行く。そしてデブはひとり台所でフライパン持って、とうとう我慢できなくなってしくしくと泣くのだ。こっちはもうここでもらい泣きするしかなかった。
しかしデブがひとり涙にむせんだだけでもらい泣きするというのに、総勢10人からの子供たちがピアノを囲んで爆泣きしていたらどうなるか。もはやこちらも超もらい泣きするしかない。登場人物が泣いている様を見せて観客を泣かせるというのは、まあ映画の作り方としてあまり高級な部類にも入らないような気がするけれども、知るかバカ野郎!だって男も女も犬も鳥も、もう全員が滅茶苦茶な勢いで泣いてるんだよ!俺がひとり冷静でいられるか!

たとえば『シックス・センス』の最後のほう、車の中でお母ちゃんと坊やが話しているうちに2人とも号泣、こっちももらい泣きとか(シャマランはこの手の「親子のええ話」路線を捨ててからダメになったと思うが、その話はまた後日)。あと『バッド・ルーテナント』、いい加減なことばかりやっていたら教会でキリストに逢ってしまい、あまりのことに泣くしかなかった、そのハーヴェイ・カイテルの気が狂ったような泣きっぷりにもらい泣きとか、映画に付き合ってこっちも泣くという、いわばもらい泣き映画の系譜は確実に存在する。と思うが、きりがないのでこれもまとめて後日。しかしそうしたもらい泣き映画の頂点に君臨すべきは、この『スヌーピーの大冒険』であると断言できよう。まあそんな暴力的な泣かせだけの映画ではなく、全篇を通して何かもっと穏やかな、えー叙情的な名場面の数々に彩られた珠玉の名作であります。必見のこと!追悼ビル・メレンデス。ということで俺はこれからもらい泣きしてきます。朝まで!