拘禁服エアロビクス

ご無沙汰しております。最近はツイッターなるものでしょうもないことを思いつきでパラパラ書いてですね。毎回ちょっと立ちションしてスッキリしたような様子でおりましたが、まあしかしあちらにはあまり長いことも書けませんので今日はこちらに俺のふと思ったことを、しかも殆ど全部俺の印象で書きます。
何の話かといえば最近昼日中の往来で在日韓国人は死ねとか殺せとか吠えるのが流行ってるというじゃないですか。昔っからそういうことを言うような人たちは一定数以上いたんでしょうが、にしてもそう思ってフーンと言っているわけにはそろそろいかないんじゃなかろうかということを最近は考えるわけです。
こういう手合いが普段どんな生活をして何を考えてるのか想像するのは石原慎太郎の行動原理に関してあれこれ考察するのと同じぐらいたいへんアホらしいことですが(どうせロクなこと考えてない)、まあでも考えてみなけりゃしょうがないと思いつつボンヤリ想像してみる。
こういう人たちは普段から外国人に対して恨みつらみを募らせて、そんな鬱憤がいよいよ爆発しそうになったところで外に出て行って死ねだ殺せだ言うわけですよね。
おそらくマトモに暮らしていればまあ金がないとか仕事がつらいとか女とうまくいかないとか、そんな悩みは尽きないと思う。少なくとも俺はそうです。だからといって自分がマトモだと言いたいわけではないですよ。それに俺だってたとえば自民党はどうしようもねえなとか石原慎太郎はバカだな、許し難いなと日々思うわけです。でも自分のあれやこれやが自民党のせいか、石原慎太郎のせいかといえばそうは思わない。そのへんが許せないのと自分の問題は別のことです。まあ物凄い俯瞰で見れば政治のせいだということはできるかもしれないけれども、じゃあ政権が替わったり石原慎太郎がどうにかなれば俺が個人的に抱えている諸問題が解決するのかといえばそんな便利なことはあるわけがないんだと。それと同じことでたとえば日本に外国人がいなくなったら自分の生活がよくなるなんてそんなはずはないですわね。
ただそういう割り切りができない人たちなんでしょうか。だから自分の先行きが不安だ、現状含めて前後左右がうまくいかないということの原因を何か分かりやすい他者、もっと言えば弱者に求める。それを攻撃して彼らの存在をなくすることができれば自分がすっきりする、ひいては幸せになれると信じているんじゃないか。
完全に逆恨みだ。自分の人生がどうにもならないのを人のせいにする。そういう人たちを俺は生で仔細に見たことがないからあくまで印象論でしかないけれども、たぶん金もなくて先行きも見えないんじゃないかと。そういう状況でも何かしょうもないことをハハハと笑って話せる相手もいないのかなと。まあ(俺も含めて)先行き不安だなんて人は山ほどいるんでしょうが、ただその中のある一定の人たちがおそらく自分より幸せな人間はみんな死ねばいいと思っていると、そういうことなんじゃないかと。
そこで思い出すわけです。秋葉原事件。派遣を切られた兄ちゃんが、自分が仕事がなくなったのも女も友達もいないのも全て世の中のせいだと何だか思いつめて、トラックで秋葉原歩行者天国に突っ込んでですね。だれかれ構わずナイフで刺したと。
一方そのころこちらの人たちです。在日韓国人は死ねという人たち。白昼の往来で死ねだ殺せだ、殺意をむきだしにする。本人たちは絶対に否定するだろうけれども、秋葉原事件の加害者と彼らの成り立ちは同じだ。完全に逆恨みじゃねえかよという点において。数を頼んで言いたいことを垂れ流すだけという卑怯さをより性質が悪いと思うべきか、実際に人を殺していないぶんだけまだマシと思うべきか。
だけどそういう連中というのがアレなんですよね、人殺しやら人の世の秩序を乱す者やらは問答無用で死刑だ!とかそういうことをまた吠えるわけですよね。自分自身は明らかに体制から弾き出される寸前のギリギリのところにいて、しかも体制から見れば十把一絡げの吹けば飛ぶような存在であると。もっと言えば先ほど書いたようにそれこそ秋葉原事件の兄ちゃんともはやどう違うんだという存在になりかかっているわけですよね。にも関わらず物凄い体制側みたいなことを言う。自分は大丈夫だというか絶対に正しいと。これはいったいどういう心理なんだろうと思いますですね。

さらに分からないのは、そういう彼らの中にその、いわゆるオタクが多いということですよね。具体的に統計があるわけじゃないからアレですが、まあでも字を読むのも面白くないししんどいからアニメばっかり見てるとか漫画ばっかり読んでるとか、そういう彼らは多いんじゃないかと思うわけです。これは憶測に過ぎないですが。ただ憶測に過ぎないとしてもですよ、たいていのアニメでも漫画でも何でもいいんですが、そういう極度に差別的なものの考え方というか、その拠り所になるような作品ていうのが、俺が知らないだけで最近はあるんでしょうか。
俺の知る限りたいていのフィクションというのは程度の差はあれ個人を主人公にするもの、大なり小なり反権力的および反体制的なものなんじゃないかと思うのです。『スター・ウォーズ』だって『ワイルドバンチ』だって『ガンダム』だってそうじゃないすか。道に出てって外国人を殺せというような考え方を是とするフィクションを、少なくとも俺はあんまり見たことがないです。
なおかつ自分の話をしてしまえば、まあ何か弱い者に石を投げるのは格好悪いなあというようなものの考え方というのは、自分が子供の頃から今に至るまでずっとボンヤリ見てきたものによって作られたと思うんです。じゃあ自分よりも弱いくせに恵まれた生活をしている者が許せないと思う彼らはいったい何に影響を受けてそう思うようになったのかということです。
そこが最近はどうにも分からんですな。
まあこのことを黙って考えているのも何なのでとりとめもなくワーと書きました。らしくもないのは百も承知です!次回は超人ハルクの話をします!また来週!