グレート・ムタVSグレート・ニタ(1999)


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晩夏の神宮にとどろいた、湿ったオナラのような音

 1999年8月28日。新日本プロレス、初の神宮球場興行。「GINGU CLIMAX BATTLE OF LAST SUMMER」と、タイトルも格好いい。だが野暮を承知で言えば神宮のつづりは「JINGU」だし、さらに「BATTLE OF LAST SUMMER」では「去年の夏の戦い」になってしまう。大丈夫か?
 初っ端からダブルで間違っていた神宮大会、そのメインイベントはグレート・ムタとグレート・ニタの「ノーロープ有刺鉄線バリケードマット時限装置付き電流地雷爆破ダブルヘルデスマッチ」であった。
 99年といえば、大仁田厚が新日プロに単身殴り込んで「狙うは長州の首ひとつ!」と吠えていた時期だ。長州力の首ひとつと言いながら、健介に反則負けを喫したり、蝶野と電流爆破マッチを戦ったり、いろいろと寄り道していた。そんな大仁田がテレ朝の真鍋アナを恫喝、あるいは暴行する「大仁田劇場」は『ワールドプロレスリング』のレギュラーコーナーとして、人気を博していた。
 さて長州力に辿り着くまでの当面の敵として、武藤敬司を標的に定めた大仁田。ある日の6人タッグで武藤を大流血させた。武藤はその「化身」たる残虐ファイター、グレート・ムタのコンセプトを大仁田がパクり、グレート・ニタを名乗ったことに、かねてから不快感を露わにしていた。その大仁田に襲われたという屈辱。武藤はいきり立った。「ファック! あいつ、触っちゃいけないもの触っちゃったよ。俺は全力を出す! お前も全力で来い! グレート・ムタ、行っちゃうぞ!」。狂っていた。

(武藤敬司と同じか、あるいはそれ以上に、自分を含むファンの多くはグレート・ニタに苛立っていた。常に顔面を禍々しくペイントした……というか生まれつきそんな顔をしているはずのグレート・ムタは、何しろこの地上に生まれ落ちた悪の権化であった。いっさい言葉を発することなく、その体内から分泌されているであろう毒霧で対戦相手の視界を奪い、それから人間ならざる残酷性を剥き出しにして血祭りにあげた。悪の……あるいは善悪をさえ超越した、圧倒的な混沌の魅力。愚零斗武多、と、その名前を授業中の、また長じてからは打ち合わせ中のノートにしばしば書いた。それだけのスターの、その表層だけを真似る大仁田のことが許せなかった。大仁田は大仁田でいろいろ頑張っていた、それは認めるにせよ、ニタを名乗って奇矯な振る舞いを見せることだけは看過できなかった)

 数日後、「大仁田 大阪南港で遺体引き上げ」との見出しが、東スポ1面を飾った。いよいよムタを出すという武藤に対し、大仁田は(詳細は省くが、何か以前に死んじゃったなどいろいろあって)今や南港に沈むニタを蘇生させようというのである。
 この模様は件の「大仁田劇場」でも流れた。心細げな面持ちで大阪南港に佇む真鍋アナ。そこへ大仁田がやってきた。
 俺は、俺は、俺はこれからニタを召喚するが真鍋、お前にそれを目撃する覚悟があるのか云々、オイ、オイ、真鍋、オイ、などと一方的にまくし立てた後、大仁田は画面から消えた。すると入れ替わりで、夜の大阪湾から白塗りかつヘドロまみれのグレート・ニタ(大仁田厚2役)が、何だか奇声を発しながら現れるのだった。真鍋アナは絶句した。もちろんテレビの前の我々も絶句した。新日プロ初の神宮大会、そのメインイベントとなる試合の前フリがこれであった。実にくだらない。試合形式も決まった。冒頭にも書いたがもう一度書く。なぜなら書きたいからだ。「ノーロープ有刺鉄線バリケードマット時限装置付き電流地雷爆破ダブルヘルデスマッチ」。要はロープ代わりの有刺鉄線に仕込んだ爆薬のほかに、リング下にも地雷が設置されていると。これが時限装置でもって大爆発すると。よくわからないがそういうことらしかった。

 そして迎えた神宮大会当日。そのメインイベントについて詳細に語るつもりが、前提を説明しているうちに紙数が尽きた。しかたないので試合のクライマックスからお届けする。

 「残り時間1分!」。地雷爆破までのカウントダウンが、神宮球場にこだました。サイレンの音も鳴り響いていた。グレート・ムタとニタ、リングから落ちたほうが負けだ! いったいどちらが……と気を揉むまでもなく、ムタの低空ドロップキックを食らってニタが落下した。厳密には自分からゴロゴロと転がり落ちた。そこにはいくつもの地雷がニタを待ち構えていた。球場に集った4万の観客が思わず耳をふさいだ瞬間! 特に何も起こらなかった。ニタがぼとりとリングから落ちただけだった。静寂が神宮を走った。それからバフン、という音を立てて、リングの下で小さな爆炎が上がった。この何だか湿ったオナラのような音が、観客の気持ちを何より雄弁に語っているような気がした。
 その後リングに戻ったニタは、自ら持ち込んだ鎖鎌でムタに脳天をちょん、と突かれてKO負け。勝ったムタは不機嫌に引き上げていき、その後ニタは息も絶え絶えに、花道を這いながら去っていった(その途中でパンパンに膨れたゴミ袋を投げつけられ、普通に立ち上がって怒っていたとき以外は)。
 試合後、大仁田はこの試合でふたたび生命を落としたグレート・ニタが眠るという棺桶にすがって泣いた。その頃、神宮球場を埋めた観客たちは苦虫を噛み潰しながら帰途についていた。