Montana

 ご無沙汰しております。ご無沙汰している間に流行りのツイッターなるものをダラッと見てますと、俺の好きなフランク・ザッパに関するこういう話がときどき回ってきてですね。

 何だかアーティストの名言というやつですね。愛だ平和だというメッセージを音楽に込めるのは馬鹿げたことだと、そうフランク・ザッパが言ってたらしいぜ。どうだ! と。そんな感じで10,000人ぐらいにシェアされているようです。音楽や何かにいろいろ難しいこと面倒くさいことを持ち込むのは格好悪いことで、娯楽は娯楽として楽しむがよし。そういうメッセージを代弁してくれて、ある意味胸がすく感じなんでしょう。たぶん。ふーん……と思いますけども、問題はこの「名言」が実はデマだということです。

 デマというのは正確じゃないかもしれません。後半部分のザッパ発言は確かにザッパ本人が言ったとされていることです。しかし前半の質問部分が明らかに後付けの捏造であると。

 真相はこうです。80年代半ば、ロック音楽が青少年に悪影響を与えているんじゃないかということが米国で盛んに言われたことがありました。暴力だとかセックスだとか、そういうロクでもない題材を扱った音楽の流通にはこのさい制限をかけたほうがいいんじゃないかと。後の合衆国副大統領アル・ゴアのパートナー、ティッパー・ゴアが率いる団体、PMRCがそういう主張を始めたんですね。この動きに対してフランク・ザッパを始めとするミュージシャンが昂然と異を唱えます。子供に何を聴かせるかはまず周りの大人が判断すべきことであって、いきなり十把一絡げに流通制限をするんじゃそれは検閲というものだろうと。表現の自由はいったいどうなるんだと。だいたい青少年の頭がおかしくなるのを、すべて彼らが聴くもの観るもののせいにするのはどうなんだと。そういう文脈で出てきたのが「私はデンタル・フロスについての歌を歌いましたが、それで誰かの歯が綺麗になったんでしょうか」というザッパ発言だった。青少年に対して音楽が影響を云々というのは馬鹿げた話なんじゃないですかということですね。これは1985年9月19日、PMRCの音楽規制問題に関する公聴会での発言か、あるいはそれに先立つ同年5月5日の声明文における発言と言われています。明確な引用元をズバリ出せないのが歯がゆいところではありますが、同時に冒頭に引いた「名言」なるものに関してもソースはどこにもない。だとすると、そんな不確かなものを錦の御旗みたいにして「娯楽にメッセージはいらない」という主張の裏付けにするのは、そりゃどうなのよと俺は思うわけです。
(それはそれとして娯楽作品が一部の人に与える影響、ということに関してはちょっと俺にも思うところがあるのですが、それについてお話しすると長くなるのでまた後日)
 と、ここまでダラダラ書きましたけども、この件に関しては下記のように、非常に素晴らしい論考を書かれた方が既におられます。
「デンタルフロスの歌を歌ったんだが、お前の歯は綺麗になったか?」はビートルズに対する皮肉ではない件について | スミルノフ教授公式ウェッブログ「デンタルフロスの歌を歌ったんだが、お前の歯は綺麗になったか?」はビートルズに対する皮肉ではない件について | スミルノフ教授公式ウェッブログ
なので今さら俺から言うようなことも特にないんですが、まあでも同じ話がひとつよりはふたつあったほうがよかろう。ということでもうちょっと続けます。

 件の「名言」に関して厄介なのは、フランク・ザッパが確かにヒッピー文化的なものに対して批判的だった、という事実があることです。なので前後をいい感じに編集した発言に変な信憑性が出てきてしまう。
ザッパにはたとえば"Flower Punk"(1968年)という曲があって、そこでは

 よう、お前 そんな花なんか持ってどこへ行くんだよ?
 - ええと、フリスコに行ってサイケデリック・バンドに入るの
 よう、お前 そんなバッジつけてどこへ行くんだよ?
 - ラブ・イン(ヒッピーのデモ)に行って泥の中でボンゴを叩くの

 みたいなことを言ってですね。お前らいろいろやってるようだが、そりゃ結局のところいったい何なんだと。確かにちょっと寝ぼけた感じのヒッピー文化には非常に冷ややかな目を向けていた。だからそこだけ切り取ってみれば、いかにも先の「名言」にも説得力めいたものは出てきますね。
 または"Oh No"(1970年)という歌もあります。
 とんでもねえ、俺は信じやしないぜ
 お前が愛の意味を知ってるだなんてよ
 愛こそはすべて、とお前は言う
 どんなアホも憎しみも、愛でもってすべて解決できるんだと
 頭がどうかしてるとしか思えないな

 愛だの平和だの実にくだらない話だと、やっぱりフランク・ザッパはそんなことばっかり言ってたんじゃねえかと思われてもしかたない流れです。ただここでそろそろ出しておきたいのはフランク・ザッパとマザーズ・オブ・インベンション、66年のファースト・アルバムです。『フリーク・アウト!』ね。

Freak Out!

Freak Out!

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そこに"I'm Not Satisfied"という歌があって、

 行く場所がない
 ひとりで通りを行ったり来たりするのにも飽きてしまった
 誰かに与えるような愛なんてものも俺には残ってない
 いろいろやってみたが、みんな俺のことが気に入らないんだとよ

 みたいなこととか、あるいは"You're Probably Wondering Why I'm Here"という曲では、

 不思議に思ってるんだろう、何で俺がここにいるのか
 俺もそう思ってるよ、俺だってな
 なぜ俺がこの場所にいるのか、お前が不思議に思ってるのと同じぐらい、
 俺もお前がどうしてそんなにバカっぽい面をしてるのか理解できない
 毎朝おんなじように目を覚まして、そのへんの通りでお友達に会う
 頭にスプレーか何かして、いい感じだと思ってる
 そんなお前の人生はまったく穴だらけだが、まあ俺の言うことでもないか
 俺はギャラ貰ってここで演奏してるだけなわけだし

 といったことをさんざん言っていてですね。まあどうでしょうか、この居場所のなさ。どこへ行っても何だかアホらしい、と眺めているしかない感じ。俺は高校生ぐらいの時に、こういう心境に本当にグッと来てですね。分かるわあと思いながら全寮制の部屋でこれらをひとり黙って聴いていたわけです。まあ俺の話なんかは別にどうでもいいんですけど、ことフランク・ザッパという人に関して言えば。つまり世の中のどこにも自分がうまくフィットできるような場所がなかったんでしょう。あるいはフィットしに行く気もなかった。初期作品なんか聴いてますと特にそんなことばっかり歌っている。それはたぶん、この人が誰よりも非常に強烈に個人であったからだろうと思います。それがために、どんな文化ないしムーブメントにも乗れなかったんだろうと。髪切って真面目に就職することはもともとできないような、そういう人からしてみるとですね(実際、髪切ってレコーディング・スタジオ経営を始めてみたらFBIが乗り込んできて、録音素材を全部押収されたという事件さえあった)。だからやれ平和だ愛だというヒッピー文化にしても、はっきり言えばそれは新たなコンフォミズム、画一化のひとつでしかなかったわけです。つまりみんなで似たような格好をして、似たようなことを主張して、みんなで特定のお作法を守ってですね。周囲と違ったことを言うような人がひとりでそのへん歩いてればそりゃ異質なものとしてブッ叩かれるかもしれないが、それが衆をなせば特に異質でもなくなるわけですよね。だけどそうやってひと固まりになった結果として、誰しも個を失っていく。それは世間が押し付けてくるような、いいからみんなと一緒のことをしなさいという有り様と何が違うんだと。しかもそうやって何か形になったっぽいことをして、いずれそれにも飽きてですね。そのうちみんな元いた定位置に戻っていくんじゃないのかと。それが結局いったい何になるんだと。だとすれば、そんなことよりそれぞれが個人として好きな格好をして、いつまでも何か気に入らねえなあ! と言い続けたほうがいいんじゃないのかと。つまり異質なものとしてあり続けるべきなんじゃないかと、フランク・ザッパが言わんとしたのは明らかにそういうことだったと理解しているわけです。

 「デンタル・フロスについての歌」というのは73年の『モンタナ』のことで、これはワシゃモンタナに移り住んでデンタル・フロスを栽培するんじゃ、という意味があるんだかないんだか分からない(たぶんない)曲です。

 確かにオッサン何言ってんのという、歌詞なんかはアタリだとしか思えないような、純粋に音楽的完成度を追っていた場合もありました。ありましたし、それはそれでもの凄い仕事だったわけですが、その後80年代に入ってからは。カネ儲けばっかり考えているレコード会社、アホなことばかり並べてとにかく言うことを聞かせようとしてくるレーガン政権に宗教右翼、それに件のPMRCが導入しようとしていた検閲制度などなど、その手の個人の自由を抑えこもうとしてくるような、ありとあらゆる勢力に対する直接攻撃をですね。いよいよ音楽でもって仕掛けていくことになるわけです。たとえばこのビデオなんか観ますとレーガン大統領を電気椅子に座らせてですね。

 まあ偉い勢いがあった。怒ってるなあ! ただコレは別にだんだん歳とってきて急に政治的になっていったわけでも何でもなくて、実は60年代後半から一貫して同じことを言ってるんですね。つまり個人が個人としてあることに横槍を入れてくる連中はどうあっても許すわけにはいかん。どこの誰とも知れんアホに管理されてたまるものかと。そういうことをずっと言い続けた。それは歌詞のある歌であろうとインストゥルメンタルであろうと全部そうだった。だからキャリアのどこを切っても変わらずに超かっこいいわけです。

 ということを踏まえて例の「名言」をもう一度読んでいただければ、俺がコレに対して抱いた違和感、さらにそれが「何かいいこと言ってる」的に引用されることに対する苛立ちといったものが。多少はお分かりいただけるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
 既にガセ……というかいいように編集された言葉である、ということで決着のついた話に俺がガタガタ付け加えるのは完全に蛇足もいいところでしょう。が、フランク・ザッパも最近じゃ遺族がいろいろ揉めたり、とかく大変な感じになってますんで。

http://www.rollingstone.com/music/news/zappa-family-trust-threatens-dweezil-zappa-over-band-name-20160429

せめていま一度誤解は解いておいたほうがいいんじゃないかということで、いろいろと書かしていただきました。それではまた後日。