シュワルツェネッガー主義

 ご無沙汰しております。ご無沙汰している間に何をしていたかといいますと本を書いておりました。というのは若干嘘で、たしかに本を書きもしましたが、それ以外の時間の大半は昼寝したり夜寝したりしておりました。朝寝もしました。あとはその合間合間にビールを飲んでいました。前回の更新からの2年間をまとめると概ねそういうことになります。

 それはそれとしてわたくしの書いた本が出ます。タイトルを「シュワルツェネッガー主義」といいます。言わずと知れたアクション・スターのアーノルド・シュワルツェネッガー、その人生と作品を一気呵成に振り返ろうという、今までにありそうでなかった本でございます。

シュワルツェネッガー主義

シュワルツェネッガー主義

 

  何でまたこんな本が突如出現することになったのか。皆さんそう訝しんでおられることと思います。

 一昨年のことだったでしょうか。映画秘宝でおなじみ洋泉社の田野辺さんと小沢さんと別件で打ち合わせをしていたところ、そろそろ本でも出してみたらどうか、という大変ありがたいお話をいただきました。ほ、本!

 「わ、わしの名前で本を書いてええいうことですか」「ほうじゃ」「本を……」「こんなもここらで男にならんと、もう舞台は回ってこんど」

 これはえらいことになったと思いました。もちろん自分の書きたいことを1冊書かしていただけるなんていうのは願ってもない話でしたが、願ってもないあまり完全にノーアイディアだった。ライターたるもの著書の企画のひとつやふたつは常に持っておいて、ここぞというタイミングで練りに練ったネタを売り込むとか、そんな準備を常にしておくべし、というかですね。まあ何かその、攻めの姿勢というんですか? そういうプロアクティブな態度が成功の秘訣ですよね。ところが自分の場合は生まれつき怠惰な、じゃなかった、奥ゆかしい性格をしているものですから、まあ~そんな著書の企画を持っとくなんてことは。ねえ……。

 しかしせっかくいただいた機会に「いや~、どうもネタがありませんで……」ゲヘヘ、とか言って頭をかくわけにはいかないじゃないですか。少なくともこいつには何かあるんじゃないかと声をかけていただいているわけですから。そこで何だこいつ、空っぽか! と落胆させてはいけない。なのでこりゃあ間違いないというビッグアイディアを披露したいが! そんなものはない! どうする!

 その刹那、俺の脳裏にある男の顔がよぎった。小学生の時分からずっと追いかけてきたあの男の顔が。「シュワルツェネッガー……」。俺は口を開いた。アーノルド・シュワルツェネッガーで1冊というのはどうですか。

 一瞬、沈黙が流れた。ような気がします。シュワルツェネッガーもたしかに一時代を築いたアクション・スターであることは間違いない。とはいえ、その主演作品には何をどう語ればよいものやら見当もつかないものもある。むしろそんな映画ばかりかもしれない。同時代……というかちょっと先輩の筋肉スター、シルヴェスター・スタローンは映画作家としても鳴らしているから十分語りどころはあるだろうが、しかしシュワルツェネッガーで本1冊が成立するのだろうか。数秒間の沈黙からはそんな疑問が伝わってきたし、実のところ俺もまったく同じことを考えていました。じゃあ提案するなよ!

 しかし逆に考えればその沈黙、その疑問こそが、いまあえてシュワルツェネッガーの本を世に問う最大の理由でもあると言えはしまいか。不世出の大スターであるにもかかわらず、ごく少数の例外を除けばその作品について真面目に顧みられることはほとんどないわけです。でしょ? その例外たる『ターミネーター』および『ターミネーター2』にしてもどちらかといえば監督ジェームズ・キャメロンに関する文脈で語られるし、『コマンドー』なんかに至ってはほぼネタ的に消費されているに過ぎない。

 結局のところ、シュワルツェネッガー主演作品のほとんどは旬を過ぎた特盛ハンバーグ定食みたいな扱いしか受けていないのではないか。そういう何だかよくわからないものが大当たりした時代もあったよね、今となっちゃアレだけど、と。しかし百歩譲って馬鹿しか食わない特盛ハンバーグ定食であったとしても、ある一時期には数百万、数千万のオーディエンスがその馬鹿なメシに群がってうまいうまいと食っていたことは疑いようのない事実なわけです。

 凄い顔、凄い肉体と凄い名前。あと凄いオーストリア訛りの英語を喋る。そういう変な男に、なぜ人は(とりわけ自分は)そこまで惹かれたのか。そんな男の映画が、かつては本邦でも1000人収容の大劇場でドバーンと封切られていたのに、いまでは毎度毎度日本公開さえ危ぶまれる状況になっている。なぜ、あれだけ評判を呼んだものがいつしか凋落してしまったのか。考えてみればわからないことばかりなわけです。それを掘ってみる価値は十分以上にある。はずだ!

    それに何より1973年生まれの自分からしてみると、たとえば『ロッキー』といえば『ロッキー3』だったわけです。わかりにくいかもしれませんが、つまりスタローンはもう既にそこにいたと。対するシュワルツェネッガーに関しては、この何ともしれん存在感を持った男が82年に『コナン・ザ・グレート』でいきなり躍り出てきた瞬間に、当時9歳の俺は居合わせていたんですね。それからずっとリアルタイムで玉石混淆の(どちらかといえば石が多めの)主演映画を最前線で目撃し続けてきた。そうやって同じ時代を生きてきた人間の誰かがこのスターの栄枯盛衰を記録しなくてはならないし、そうすることで見えてくるものがきっとある! はずだ! たぶん!

 みたいなことを思いつきで力説しているうちに何となく骨子が固まりまして、いったい何を言っているのかわからんがとにかくやってみろとの大英断をいただいてですね。それからは来る日も来る日もシュワルツェネッガーの映画を観直して、その製作背景を調べ上げつつ、これはいったい何なんだと考え込む日々が続きました。なかには観るのもなかなかつらいものもありましたが、ともあれ約30本の主演映画についてはそれぞれの成り立ちを含め、すべて真面目に作品論を書かしていただきました。『コマンドー』や『トータル・リコール』といった重要作品、それに『ラスト・アクション・ヒーロー』などの問題作についてはそれぞれまるごと1章を費やしています(『ラスト・アクション・ヒーロー』、略して『ラヒー』について25ページ書いてある本は日本中探してもこれだけのはずです)。

 もちろんその生い立ちから、映画スターとして地位を確立する以前のボディビルダー時代、それにカリフォルニア州知事時代を経て現在に至る破天荒なキャリアについても時系列で追いかけております。ご存知の通りシュワルツェネッガーの俳優としてのキャリアは90年代後半から下り坂になりますし、また近年は私生活においてもいろいろありましたゆえ、本書も後半になればなるほどつらい話が多めになってきますが……。

 ともあれ何度か死にそうになりつつ、書けることは全部書きまくっていたら約300ページの分厚い本が出来上がってしまいました。どこをどう読んでもシュワルツェネッガーのことしか書いていないという、こんな異常な本が出ることは今後おそらくないかと思います。18輪トラックが川に落ちた事故でも目撃する感じで、カジュアルにお手に取っていただければ幸いでございます。シュワルツェネッガー案件では思いがけずラジオに出していただいたりして(2回も呼んでいただきました)、だいぶやり切った感があります。この後何を書いていくかについてはいろいろとアイディアがなくもないですが、すべてはこの本がバカ売れしないことには始まらない話でございます。ぜひよろしくお願いいたします。

 

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